「拉致問題について」
ある日突然、我が子或いは肉親が暴漢に襲われてたり、乗り物に乗っていて尊い命を奪われてしまう。
車に乗っていて、突然に追突され川に車ごと落とされた父、母そして子供3人。父、母の必死の救出行動にも
関わらず幼児を含む全ての子供が亡くなった福岡県での交通事故は記憶に新しい出来事として残っているでしょう。
3人の子供を失った悲しみを夫婦の方が言っている内容が各メディヤによって報道されていました。
本当に、我が子そして肉親を突然の不幸によって失われた方達の悲しみを推し量ることは出来ません。
1987年大韓航空機爆破事件の工作員として金賢姫が逮捕されて時に、金賢姫の証言により行方不明の
日本人が北朝鮮に拉致されている事の疑惑が浮上した。それでも、まだ日本政府或いは日本国民を含め
日本国内では大きく取り扱われる事はありませんでした。その後、色々な諸事情を経過して1997年に
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会「家族会」が編成されました。日本における最初の拉致事件は、
1977年9月9日宇出津事件「久米裕が石川県宇出津海岸で拉致される」から20年が過ぎ去っていました。
この年から1980年までの間に多くの拉致事件が発生しています。めぐみさん、田口八重子さん達も拉致されています。
日本の政府或いは国内では大きく取り扱われる事はありませんでしたが、ある日突然に、我が子、我が肉親がいなくなってしまった。
最初は、何が何だか分からない日々続いたでしょう。交通事故か其れとも突然の家出なのかと・・・
親、肉親が悩み、苦しみの日々が続いた事だったと思います。久米裕さんがいなくなって20年近く経ってから
北朝鮮に拉致された事が分かりました。久米さんの親御さん又肉親の方々は驚きと怒りを覚えた事だったでしょう。
2002年10月15日 拉致被害者5名が一時帰国、その後、北朝鮮に人質のように残されていた5名の家族も
日本政府の働きによって帰国するが、まだまだ多くの拉致された方々が北朝鮮に残っています。北朝鮮側の言い分に
よって一時は、拉致問題は終わったように取り扱われようとしていました。しかし、日本政府、家族会が北朝鮮への抗議などを
行っていますが、拉致問題は遅々として進んではいない状態が現状です。2009年3月11日韓国釜山において
田口八重子さんの長男が金賢姫と会い、金賢姫に田口八重子さんは生きていますとの事を聞き、彼は
1日も早く母に会いたいとの事を金賢姫に言った事をメデイャが伝えていました。小泉政権時代に総理の働きに
よって5組の家族が日本に帰国しました。しかし、めぐみさん.田口八重子さんを含む多くの拉致被害者がまだ北朝鮮に
拉致されたままです。その様な現状で拉致被害者の親御さん、親類の方々も高齢化しています。拉致された方々が
北朝鮮に連れて行かれてから30年以上が経っていますが、残された親御さん達の
ある日突然にいなくなってしまった方達を思う心は計り知れないほどに深刻なものだろうと察します。
拉致問題は、一時は日本国内で多くの方達によって問題解決が取り上げられていましたが、現在では
拉致問題解決の灯火が、家族会以外の方達に余り取り上げられなくなり消えかかっています。
どの様な大きな問題であっても時間が経てば風化する傾向はありますが、この拉致問題はまだまだ解決には
ほど遠い現状です。また、拉致被害者を待っていられる年老いた親御さん達の為には絶対に風化させては
いけない問題ではないだろうかと思います。「桜草の日記」の願いは、年老いた拉致被害者の家族の方達に
ある日突然としていなくなってしまった拉致された方との再会をそして日本への帰国です。その為にも
「気をつけてください、海外に行かれる方は、日本人は、狙われやすいとニュースで聞いた事があります、なぜなら武器を持ってないから」
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